連載『紫式部の足跡をたどる』 第3回『源氏物語』ってどんなお話? 

2024/7/29

『源氏物語』は、千年の時を超え、国内外で読み継がれてきた日本最古の長編小説。作者である紫式部は、2024年の大河ドラマ『光る君へ』の主人公として注目が高まっています。じつは、ここ船岡山エリアは、紫式部ととてもゆかりの深い場所なのです。

この連載では、そんな紫式部ゆかりの船岡山エリアのスポットをご紹介!さらに、船岡山エリアを飛び越えて、北区内のほかの地域やその周辺にあるスポットも合わせてご紹介します。
しっとりと落ち着いた町並みを歩きながら、紫式部の足跡をたどってみませんか。

(光源氏が参籠した紫野院の跡地に建つ雲林院)

「紫式部ってどんな人?」の前編と後編では、紫式部が生まれてから亡くなるまでのゆかりの地をご紹介しました。第3弾となる今回は、紫式部が綴った『源氏物語』のなかに登場する、船岡山エリアとその界隈の名所をご案内します。

『源氏物語』は、大河ドラマ『光る君へ』の主人公・紫式部が恋に落ち、やがて、「この世をば 我が世とぞ思ふ望月の 欠けたることも なしと思へば」という歌を詠むほど絶大な権力を誇った藤原道長の娘で、一条天皇の中宮となった彰子に仕えていたときに綴りはじめたと伝わります。主人公の光源氏が身分も個性も異なる姫君たちと次々に恋愛模様を繰り広げる、一見華麗なるラブストーリーですが、平安王朝の光と影をも見事に描ききった、全54帖にわたる壮大な物語。千年以上経ったいまでは、海を越えて世界中で翻訳され、読み継がれています。

(雲林院の境内に立つ観音堂)

主人公の光源氏は、時の帝(桐壺帝)と、身分はそれほど高くなかったものの帝に寵愛された桐壺の更衣の子としてこの世に生を受けました。輝くように美しかったことが「光源氏」と呼ばれるようになったゆえんです。美しいだけではなく、教養にもすぐれた光源氏は、いまでいうなら、「超絶ハイスペックなイケメンセレブ」といったところでしょうか。幼いころに母を亡くしますが、桐壺帝が後に后とした藤壺の女御に母の面影を求め、次第に恋心をいだくようになるのです。

第10帖『賢木(さかき)』では、桐壺帝が崩御したあと、ライバルである右大臣家が力をもつようになったうえ、藤壺への募る思いも拒まれてしまった光源氏が参籠したのが、雲林院だと綴られています。

(雲林院から北大路通を隔てた北側には大徳寺の境内が広がる)

~船岡山エリアから足をのばして~

(葵祭の様子を描いた上賀茂神社の絵馬)

第9帖『葵』では、現在、7月の祇園祭、10月の時代祭とともに京都の三大祭として名を連ねる葵祭の場面が綴られています。葵祭は、賀茂社(上賀茂神社と下鴨神社の総称)の例祭で、6世紀ごろ、つまり平安京が開かれるよりも前から受け継がれてきた歴史ある例祭です。

光源氏は、勅使として葵祭の儀式に参列しますが、その晴れ姿を一目見ようと、一条大路にやってきた妻の葵の上と、年上の愛人・六条御息所の牛車が雑踏のなかで車争いを起こしてしまいます。この時の恨みから六条御息所は物の怪(生霊)に姿を変え、葵の上に取り憑くようになるのでした。

(イチョウの名所として知られる岩戸落葉神社)

船岡山エリアを出て神護寺や高山寺を通り過ぎ、さらに清滝川に沿って上流へと進んでいくと、小野郷の産土神「岩戸落葉神社」がたたずんでいます。三柱を祀る岩戸社と落葉社の2つの社からなる古社であり、物語のなかで朱雀帝(源氏物語の異母兄)の娘として登場する「落葉の宮」が、この里を住まいとしたことにちなんでいます。

物語に綴られた場所に立ち、面影をたどってみれば、雅な平安王朝にタイムスリップするかのような心地になれます。

ぜひ、船岡山エリアを巡り、『源氏物語』の世界にふれてみてくださいね。