(1)雲林院
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元は、淳和天皇の離宮・紫野院として造営された。紫野一帯は野の広がる狩猟地であったが、桜の名所でもあった。文人を交えてたびたび行幸したという。その後仁明天皇の離宮となり、やがて皇子常康親王に譲られた。
後に僧正偏昭が入寺(869年)して雲林院という官寺になった。雲林院は『源氏物語』第十帖『賢木(さかき)』に登場する。鎌倉時代になって北西に大徳寺が建立され、院外塔頭となった。
広大な離宮の敷地は、北大路大宮通り付近まであったと発掘調査から分かってきた。
離宮の西側にあった大池には山が映り 、 それが船のように思えたので、その山を「船岡」と言った。
かつて雲林院境内にあった大徳寺の塔頭の真珠庵に「紫式部産湯の井戸」がある。紫式部はこの周辺で生まれ育ったとされ、その名も、紫野に由来するといわれている。
(2)常盤井と弁慶石
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自然石で囲まれた常盤井)
井戸は周囲を自然石で囲まれ、常に清水を湧出していたので常盤井といわれた。また、牛若丸の母、常磐御前が用いた井水ともいわれた。
この付近は、梶井宮(大原三千院)があったところでもあり、それ以前は紫野院(雲林院)があった。
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常盤井近くの民家の奥庭に赤褐色の巨石(チャート)があり、弁慶腰掛石といわれている。
大徳寺の東側を南下していた川に架かっていた石橋が「ごじょ橋」と呼ばれ、牛若丸と弁慶が戦った橋と伝わる。
今宮神社北側に牛若丸生誕の井や胞衣塚もあり、鞍馬山からも近く、納得がいくような気がする。
(3)若宮神社
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京都府八幡市の石清水八幡宮を本宮と呼ぶに対して、若宮八幡宮と言う。
古来よりこの地を源頼光の屋敷跡と伝える。この付近一帯には源家に関する伝説が多く伝わる。
(4)今宮神社御旅所
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今宮祭の日には神様が旅をして泊まられる所で、お祭りの中心であった。
能舞台があり、300年以上前から能の奉納が続けられていた。
現在、今宮祭の時のみ、能舞台は御神酒飾りや八乙女舞の舞台となる。
普段は戸板で覆われ、周りはガレージとして使用されている。昔の賑やかさが偲ばれる。