天皇陵・親王陵 -紫野周辺を訪れる-

2021/11/11

京の都には、多くの天皇陵・皇后陵や親王陵が、盆地の縁に点在する。親王とは天皇の子供をさす。天皇陵には宮内庁からの制札に 一、みだりに域内に立ち入らないこと 二、魚鳥等を取らぬこと 三、竹木等を切らぬこと明記されている。
尚 天皇陵、火葬塚名は宮内庁の制札に従った。

1.第70代後冷泉天皇火葬塚

千本北大路北東角にある。
後冷泉天皇は、第69代後朱雀天皇の第一皇子である。
この頃、世の中では「末法思想」がはびこり、疫病や災害などが末法の表れとされていた。京でも頻繁に火災が起こった。
治暦4年(1068年)44歳で崩御。

2.第76代近衛天皇火葬塚

千本北大路下ル京都ライトハウスの西側にある。
近衛天皇は、第74代鳥羽天皇と愛后・得子(後の美福門院)との間に生まれた第九皇子で、父に溺愛された。生来病弱で17歳で久寿2年(1155年)崩御。
天皇が崩御した際、死因は崇徳上皇による呪詛だったと、美福門院が鳥羽法皇に言いつのった。

3.媞子内親王火葬塚

船岡山北側北大路通りに面して南にある。
媞子内親王は、第72代白河天皇の第一皇女で、永長元年(1096年)21歳で崩御。船岡山の北にて火葬された。

4.第102代後花園天皇火葬塚

堀川通り鞍馬口下ル東に面している。
後花園天皇は、伏見宮第3代貞成親王の第一皇子として生まれる。この時代幕府足利将軍が目まぐるしく変わり、8代将軍義政は遊興に走り、これには天皇さえ戒められている。
応仁の乱の最中、文明2年(1470年)室町殿にて52歳で崩御されたが、ご遺骸は悲田院のあるこの地に火葬された。塚は堀川通りに面しているが、うっそうとした樹木が生い茂っている。