連載『船岡山と私』 第8回「船岡山と京都検定」~京都検定マイスター:森 明子さん編~

2024/9/3

毎回、その道のプロフェッショナルの方や地域にお住いの方などに、船岡山とその周辺の魅力を教えていただく連載「船岡山と私」。
第8回目は、【京都検定マイスター】森明子さんに「船岡山と京都検定」をテーマにご紹介いただきます。

【森明子さんのプロフィール】

第8回「船岡山と京都検定」~京都検定マイスター:森 明子さん編~

私が初めて「船岡山」の名前を聞いたのは小学1年生か2年生の頃だ。
西陣に住んでいた親戚の家を訪れたとき、4歳年上の従姉が「船岡山に行ってくる」といって自転車に乗って出かけていった。確か季節は秋、時間はやや陽が傾き始めた午後だったと思う。当時の私は船岡山がどんな山であるかを知らなかったため「今から山に?!」と驚いたのだが、さらに驚いたのは1時間くらいで従姉が帰ってきたことだった。しかも自転車のカゴに木の実や紅葉・イチョウなど落ち葉をたくさん入れて、いかにも「山に行ってきた」という姿で……。
小学生が1時間で行って帰ってくることができる「船岡山」は不思議な山として記憶にインプットされた。

(標高112m(比高45m)の船岡山は様々な方角に上り口が設けられている)

そんな私が初めて船岡山に登ったのは、2005年秋のこと。
京都商工会議所主催「第2回 京都・観光文化検定試験(京都検定)」を受験することになったことがきっかけだ。その前年にスタートした京都検定は、地域の歴史や文化に関する知識を問うご当地検定の先駆けとして大きな話題となっていた。
当時、メーカーに勤める会社員だった私は知人に勧められるままに3級試験を受験することに。実は出題内容もわかっていなかったが「京都生まれの京都育ちだから、3級だったらなんとかなるだろう」とたかをくくっていたことは間違いない。しかしいざ京都検定の公式テキストを手にすると歴史、史跡、社寺に始まり、建築、美術、行事、料理、ならわしなど長年京都に住んでいても聞いたことがないようなことが記され愕然とした。さらに前年に行われた3級の問題を見てみると、そこに「船岡山」を正解とする「四神相応(しじんそうおう)」についての問題があったのだ。子どもの頃に聞いた船岡山は京都検定で出題されるほど歴史を秘めた山だったことを知りすぐに上りに向かった。

(船岡山の岩盤はチャートと呼ばれる堆積岩でできている)

794年、第50代桓武天皇は平安京に遷都をしたが、このとき重要視された「四神相応」は四方(東・西・南・北)を霊獣が護る、地上でもっともよい地形のことだ。北の「玄武」は大岩に、東の「青竜」は大川に、西の「白虎」は大道に、南の「朱雀」は大池にそれぞれ宿るとされ、北の玄武になぞられたのが「船岡山」だ。地図を広げて見てみよう。船岡山の下(南)に「千本通」が通っているがこれが平安京の中心軸である「朱雀大路」だ。船岡山は都の南北のメインストリートの基準点となったと考えられている。

(船岡山に宿ると考えられた北方の守護神・玄武(イメージ))

船岡山の山頂付近からは京都の街並みをのぞむことができる。また散策路を歩くとあちらこちらでゴツゴツとした岩肌があらわれ、いにしえの人びとが玄武の宿る地と考えた歴史ロマンにふれることができる。さらに四季の自然を身近に感じることができるのも魅力のひとつ。春には桜が咲き誇り、夏には木々がつくりだす木陰が心地いい。そして秋になると紅葉や黄葉が彩りを添える風景は、子どもの頃、従姉が自転車のカゴいっぱいに木の実や落ち葉を入れて帰ってきたときの驚きを思い出せてくれる。

(案内板を参考に山頂からの眺望を楽しんでみよう)

京都・千年の歴史を見守り続ける船岡山。ぜひとも歩いてその魅力を感じてほしい。