「船岡山測量図」作成について

2021/10/15

史跡船岡山のマップは、公園入口の2ヶ所に「史跡船岡山見取図」が看板として設置されている。ただ,この図だけでは、詳細が分からないので、以下の資料を参考に「船岡山測量図」を作成した。

「史跡船岡山見取図」の看板

1.京都府中世城館跡調査報告書 第3冊 ―山城編1―
    発行 平成26年(2014)3月31日  発行 京都府教育委員会
    10 船岡山城跡  作成者 中居和心

2.図節 近畿の城郭1  編者 城郭談話会
     発行 2014年8月8日    発行 戒光祥出版株式会社
     27 船岡山城   作成者 髙田 徹

3.平成25・26・27年度 史跡船岡山整備事業報告書 「京都紫野船岡山」
     発行 2016年3月31日   発行 宗教法人 建勲神社
    史跡船岡山平面図

そして,作成した「船岡山測量図」に船岡山の見どころを張り付け,下の図のとおり完成させた。船岡山城の土塁・空堀跡や、令和2年11月に山上に設置された「眺望案内板」も記してある。
最近、船岡山公園を散策されたり、他府県からの訪問者が増えている。京都市の北部みどり管理事務所が、樹木を剪定されたので公園全体が明るくなってきた。また、ボランティアの方々のおかげで、清掃活動も充実しており感謝の意を表したい。

窪地は土塁・空堀か?

『3千分の1 京都市都市計画基本図「鷹ヶ峯」・「船岡山」大正11年測図』を見ると、公園に指定される前に測量されたもので、山の北西部に点線が記されている。山全体の北西部がなだらかであり、敵の防御からその点線は窪地と思われる。山の頂上近くに磐座があり、又、山の北西山麓には葬送地を偲ばせる地蔵群もあるので、その点線は結界(※)の印ともとれる。

現在窪地の山との境は、竪掘りとなり排水の役割りをしていたと考えられる。応仁の乱や永正の2度の激しい合戦の場になり、その点線は土塁・空堀の跡だと考えるのが妥当であると思われる。断定はできないが、山頂付近に潜在する野仏が、土塁・空堀の跡だと無言で言っているような気がしてならない。


 (※ 結界とは、聖なる場所と、俗なる場所とを分ける境目)