「船岡山博士」とめぐる船岡山散策ツアー!(前編)

2021/11/19

船岡山エリアについてもっと学びたい!ということで、歴史愛好家の橋本楯夫先生に,船岡山を案内していただけることに。京都の大学に通う二人が,橋本先生との船岡山散策で知ったこと・感じたことを前半と後半に分けて,お話したいと思います!

前編と中編は西川,後編は吉田がお届けします!

橋本先生との待ち合わせ場所,千本北大路で,「ここに立って何か感じることは?」と問われました。

(橋本先生との待ち合わせ場所から見た景色)

千本北大路の交差点に立つと,東と西,南は土地が下がっているのですが,北は土地が上がっているのです。鷹峯からのなだらかな扇状地であるため,このような地形になっているそうです。

平安京は1200年の歴史が有し,平城京や長岡京に比べ,遥かに長い期間,都が続いてきました。都が長く続いた背景に,このような地形が起因しているのはご存じでしょうか。
大原と石清水八幡宮の高低差は約100mあり,この高低差により水の流れができるため,汚水がたまりにくい地形であったのも、都が長期間存続した理由の一つなのです。

高校生の時に日本史の勉強はしていましたが,政治的な要因以外に,地理的条件も都の存続に関係していたことは初めて聞く情報でした。

船岡山に関するお話を少しお聞かせいただいたところで,千本北大路から少し歩き,船岡山公園へ移動。
船岡山公園は,24時間365日市民に開かれた憩いの場です。

今回は,北大路通の入り口から船岡山を登り,東側にある大鳥居に向かいました。

(史跡船岡山見取図)
(イチョウの大木)

入り口から少し登ったところにイチョウの大木がありました。この木はギンナンの実がなっているので雌株なのだそうです。

(応仁永正戦跡の石碑と看板)

テレビなどで応仁の乱が紹介された際は,必ずと言ってよいほどこの場所の写真が使われるのだとか。

応仁の乱当時,船岡山には城が築かれ,今でも土塁や空堀が残っていました。石仏も散在し合戦の激しさを感じました。

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