北方守護の神「玄武」が宿る、京都始まりの地・船岡山。四季折々の自然や眺望、ふもとに点在する神社仏閣、史跡、お店も魅力的ですが、船岡山エリアを囲む“通り”に注目してみれば、散策の楽しみも倍増します。この連載では、時代と人と物語が交錯し、千年の都を織り上げた“通り”をフィーチャー。
第1回目は、「堀川通」をご紹介します。
1200年前の平安京造営時に開削した運河に由来する「堀川通」
船岡山エリアの東端を走る堀川通は、北は賀茂川沿いの加茂街道、南は八条通に至る全長8kmほどの通りです。
平安京造営時、自然の川を開削して造った運河「堀川」に由来し、大内裏を建設する際には、北山連峰で伐採した木材を舟に載せて搬入。川のほとりに建てられた貴族たちの邸宅には、堀川の水を引き込んだ庭園が造られました。鎌倉時代から室町時代のころには、鮎が生息する清流だったといいます。
その後、貯木場、農業用水、伝統産業である京友禅の染色など人々の営みを支え、川の水が友禅の染料で染まることもあったそうです。
戦後になると堀川通は拡張。昭和30年代の浸水対策により堀川は暗渠(あんきょ)となり、せせらぎの様相はほとんど失われましたが、2009(平成21)年、10年余りにわたる堀川水辺環境整備事業を経て、清流が復活しました。
船岡山エリアの堀川通でもっとも注目したい史跡といえば、2024年の大河ドラマの主人公として話題の紫式部の墓所が第一に挙げられるでしょう。
場所は、堀川通と北大路通が交わる場所から南へ徒歩すぐ。島津製作所の敷地に囲まれた一角にひっそりと立っています。
路地を奥へと進むと、紫式部の墓所と並んでもうひとつのお墓が。昼は朝廷、夜は死者の罪を裁く閻魔王に仕えたという小野篁(おののたかむら)のお墓です。小野篁と紫式部が生きた時代は100年以上も開きがありますが、『源氏物語』で人々の心を惑わした罪で地獄に落とされた紫式部を、小野篁が救ったという逸話が伝わっているためです。
ほかにも、堀川鞍馬口から南へ徒歩2分ほどの場所には、室町時代に第102代天皇を務めた後花園天皇の火葬塚があります。嫡子に恵まれなかった先帝・称光天皇の崩御により、皇位を継承。詩歌管弦、学問に秀で、勅撰和歌集『新続古今和歌集』などに歌を残しています。1467(応仁元)年から約11年にもおよんだ応仁の乱の最中、52歳で崩御。悲田院のあるこの地に火葬されました。
また、船岡山エリアの南端にあたる鞍馬口通からさらに堀川通を南下していくと、陰陽師・安倍晴明の邸宅跡に立つ「晴明神社」、死者の蘇生や鬼女の逸話が伝わる「一条戻橋」、世界遺産「元離宮二条城」なども。たった一本の通りを歩くだけで、平安時代から悠久の時を超えて語り継がれてきた歴史の足跡をたどることができますよ。
堀川通のおすすめ立ち寄りスポット
その1:【むらさき湯】
堀川北大路交差点から一筋南側の通りに暖簾を掲げる「むらさき湯」の創業は、昭和5(1930)年。通常のお風呂のほか、ジェットバス、電気風呂、水風呂など浴室は現代風にリニューアルされていますが、脱衣所は創業当初の趣を残す脱衣所には番台があり、昔ながらのふれあいや時折開催されるイベントも楽しめます。
むらさき湯のご紹介記事はこちらから→
その2:【紫式部墓所】
室町時代の古文献には雲林院の東南に、紫式部の墓が小野篁の墓の横にあると記されています。『源氏物語』で人々の愛欲を綴った紫式部は、ふしだらな絵空事で多くの人々を迷わせたとして、死後は地獄行きになったという一説がありました。不憫に思った後世の人々が、紫式部を救ってほしいという願いを込め、篁の墓を隣に移動させたのだそうです。
紫式部墓所のご紹介記事はこちらから→
その3:【さくさく工房】
京都市北合同福祉センターの1階にある、手づくりの焼き菓子店「さくさく工房」。店名の由来は、「希望がさく、夢がさくように」という願いから。プレーン、ココアなどの定番から抹茶、ほうじ茶、季節限定などバリエーション豊富なクッキーのほか、ビスコッティ、ブラウニー、パウンドケーキなど、素朴でおいしい焼き菓子がそろいます。