連載『紫式部の足跡をたどる』~北区にある紫式部と『源氏物語』ゆかりの地へ~

2024/8/28

千年の時を超え、国内外で読み継がれてきた日本最古の長編小説『源氏物語』。作者・紫式部にとって、ここ船岡山エリアは、とてもゆかりの深い場所です。
今回は、船岡山エリアをはじめ、北区内のほかの地域やその周辺の紫式部ゆかりのスポットをご紹介する連載のダイジェスト版をお届けします。

第1回:紫式部ってどんな人? ~前編~

紫式部は、平安時代中期の女流作家。和歌や漢詩に秀でた父の藤原為時(ためとき)の影響を受けて幼い頃から和歌や漢詩に親しみ、その才能を研ぎ澄ませていきました。

紫式部が生まれたのは「紫野」(現在の今宮神社~大徳寺界隈付近)と伝わります。かつて広大な寺域を誇った雲林院の跡地に建つ大徳寺塔頭・真珠庵の境内には、紫式部が生まれたときの産湯に使ったと伝わる井戸が現存しています。

真珠庵から北へ2kmほど、世界遺産・上賀茂神社には、平安時代から、縁むすび、子孫繁栄、安産の神として信仰を集めてきた片岡社(片山御子神社)が鎮座。紫式部も参拝に訪れ、未来の結婚相手を想って歌を詠んだと伝わります。

画像:【連載『紫式部の足跡をたどる』 第1回 紫式部ってどんな人?~前編~】より

第1回「紫式部ってどんな人? ~前編~」はこちら→

第2回:紫式部ってどんな人? ~後編~

越前守となった父の為時に同行し、1年ほど越前で暮らしたのち帰京。遠戚にあたる藤原宣孝と結婚し、ひとり娘の賢子を授かりますが、結婚わずか3年で夫が病没してしまいます。

このころ、孤独を紛らわすかのように綴り始めたのが『源氏物語』だといわれています。やがて物語の評判が宮中に広まり、藤原道長の目にも留まって、道長の娘・彰子に仕えることに。『源氏物語』のほか、『紫式部日記』、『紫式部集』を遺したのちの40代半で逝去しました。

雲林院の境内跡地にあるお墓は、閻魔王に仕えた小野篁(おののたかむら)のお墓と並んでいます。また、船岡山から少し南、閻魔王を本尊とする千本ゑんま堂(引接寺)には紫式部の供養塔が。なぜ、紫式部と閻魔様が……?その理由は、ぜひ本編を読んでみてくださいね。

画像:【連載『紫式部の足跡をたどる』 第2回 紫式部ってどんな人?~後編~】より

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第3回:『源氏物語』ってどんなお話? 

『源氏物語』の主人公は、時の帝(桐壺帝)と、桐壺の更衣の子としてこの世に生を受けた貴公子・光源氏。姫君たちと次々に恋愛模様を繰り広げていく一見華麗なラブストーリーですが、平安王朝の光と影を描き上げた、全54帖にわたる壮大な物語です。

今回は、『源氏物語』に登場する船岡山エリアとその界隈の名所もご案内しています。第9帖『葵』では、葵祭に勅使として参列する光源氏の晴れ姿を見に一条大路にやってきた妻の葵の上と、愛人の六条御息所の車争いが勃発。第10帖『賢木(さかき)』では、父帝の亡き後、光源氏が参籠した場所として雲林院が登場します。

物語に綴られた場所に立ち、『源氏物語』の世界にふれてみてくださいね。

画像:【連載『紫式部の足跡をたどる』 第3回『源氏物語』ってどんなお話?】より

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