北方守護の神「玄武」が宿る、京都始まりの地・船岡山。
四季折々の自然や眺望、ふもとに点在する神社仏閣、史跡、お店も魅力的ですが、船岡山エリアを囲む“通り”に注目してみれば、散策の楽しみも倍増します。
毎回、通りにまつわるエピソードを取り上げる連載『船岡山 通りさんぽ』の中から、今回は堀川通・北大路通・今宮通の3つの通りをご紹介します。
第1回:1200年前の平安京造営時に開削した運河に由来する「堀川通」
船岡山エリアの東端を走る堀川通。
北は賀茂川沿いの加茂街道、南は八条通に至る全長8kmほどの通りです。
平安京を造営する際、自然の川を開削して造った運河「堀川」に由来します。川のほとりに建てられた貴族たちの邸宅には、堀川の水を引き込んだ庭園が造られました。その後、貯木場、農業用水、伝統産業である京友禅の染色など人々の営みを支え、川の水が友禅の染料で染まることもあったそうです。
戦後になると堀川通は拡張。昭和30年代の浸水対策により堀川は暗渠(あんきょ)となり、せせらぎの様相はほとんど失われましたが、2009(平成21)年、10年余りにわたる堀川水辺環境整備事業を経て、清流が復活しました。
そんな堀川通沿いには、京都の歴史を感じられる史跡がたくさんありますよ。
第1回「堀川通」はこちら→
第2回:昭和の頃は市電も走った「北大路通」は、京の七野のひとつ・紫野を貫くストリート
船岡山エリアの中心部を東西に貫く北大路通は、東山の白川通から西大路通に至る約5.5kmの通りです。
1895(明治28)年から1978(昭和53)年まで80余年にわたって、市電が走っていた通りでもあります。
北大路通を西へと進んでいくと、洛北の名刹・大徳寺の南端が通りに沿って続く一帯があります。平安時代、平安京の北側には貴族たちが狩猟をしたり、野草を摘んだりする7つの野原があり、「京都七野」と称されていました。そのうちのひとつ「紫野」がこの界隈です。
淳和天皇が、「紫野院」という名の離宮を造営して以降は、貴族たちが桜や紅葉を愛でる場所としても親しまれるようになりました。紫野院はのちに「雲林院」となり、大徳寺の門外塔頭として、現在、市バス大徳寺前からすぐ南の一角に境内を有していますよ。
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第3回:厄除祈願! 京の三奇祭・やすらい祭の行列が練り歩く「今宮通」
今宮神社の楼門前を東西に走る「今宮通」。
賀茂川に沿う加茂街道から千本通に至るまで、約2kmの通りです。
通り名の由来となった今宮神社は、平安京がつくられる前から鎮座していた疫神を祀る社に起源をもちます。平安時代中期の994(正暦5)年、一条天皇が都に蔓延した疫病や災厄を鎮めるため、疫神を神輿にのせて船岡山に祀り、紫野御霊会を行ないました。1001(長保3)年、船岡山に祀っていた疫神をふたたび元の地に還し、大己貴命 (おおなむちのみこと)、事代主命 (ことしろぬしのみこと)、奇稲田姫命 (くしなだひめのみこと)の三神を祀る神殿を新たに造り、ふたたび御霊会を行なったのです。
このときにつくられた“新しい宮”が「今宮」と呼ばれるようになりました。
今宮通を散策する際は、今宮神社にお参りをして、門前名物の「あぶり餅」をいただくのもおすすめですよ。
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今回は、堀川通・北大路通・今宮通の魅力をご紹介しました。
通りの歴史や由来を知れば、散策の楽しみも増えますね。船岡山を拠点に、周辺の通りをゆるりとおさんぽしてみてはいかがでしょうか。