連載『船岡山 通りさんぽ』第4回「千本通」

2024/10/3

北方守護の神「玄武」が宿る、京都始まりの地・船岡山。四季折々の自然や眺望、ふもとに点在する神社仏閣、史跡、お店も魅力的ですが、船岡山エリアを囲む“通り”に注目してみれば、散策の楽しみも倍増します。この連載では、時代と人と物語が交錯し、千年の都を織り上げた“通り”をフィーチャー。
第4回目は、「千本通」をご紹介します。

平安時代のメインストリート!お寺やお地蔵さんが集まる「千本通」

船岡山のすぐ西側を南北に伸びる、千本通。
北は「悟りの窓 迷いの窓」で知られる鷹峯の源光庵のあたりから、南へ約17㎞も続く、大きな通りです。

実はこの千本通、平安京のメインストリートにあたる「朱雀大路」と同じ場所にある通り。当時の道幅は28丈、およそ85メートルもあったといいます。平安京の時代は、この朱雀大路を境に都の西側は右京、東側は左京に分けられたそうです。

平安京をつくる際、桓武天皇は風水の思想「四神相応」を取り入れたとされますが、大極殿の南の正門には、四神のうち南を守る神・朱雀にちなんで「朱雀門」との名前がつけられました。朱雀大路はこの朱雀門がある通りだったのです。 

(お寺が点在する千本通)

「千本通」との名前は、かつてこの通りの北側に蓮台野という葬送地があったことから、その供養のため、通り沿いに卒塔婆がたくさん立てられたことに由来します(諸説あり)。たくさん=千本通と呼ばれるようになったのだそう。

千本通には聖徳太子が創建したと伝わる「上品蓮台寺」や、閻魔王をおまつりする「千本ゑんま堂(引接寺)」をはじめとするお寺が点在しており、故人を偲ぶため1,000本ほどの卒塔婆が立ったという当時の姿も目に浮かぶようです。

(十二坊町にある歯形地蔵)

このあたりは、お地蔵さんがおまつりされていることも多く、今回千本鞍馬口あたりで出会ったのが「歯形地蔵」。このお地蔵さんには、こんな不思議なエピソードがあるそうです。

かつてこのあたりに住んでいた夫婦。ある日、妻が夫の浮気を疑い、思わず夫の肩にがぶりとかみつ いたところ、なんとそれは夫ではなくお地蔵さんの肩!

お地蔵さんが夫の身代りになったことから、それ以来、歯形地蔵と呼ばれ、歯痛治療の信仰で親しまれるようになったのだとか。

(千本北大路の交差点。北上すれば、鷹峯エリアへとつながる)

歯形地蔵から少し北に歩いた千本北大路の交差点あたりは、大学もあることから、食堂やカフェなどの飲食店や、自転車店、本屋などが建ち並び、にぎわいをみせます。

さらに北に進めば、近年ラグジュアリーなホテルが続々オープンして話題を集める鷹峯エリアにつながります。源光庵や常照寺、光悦寺などのお寺をゆっくりと拝観するのもおすすめですよ。

千本通のおすすめ立ち寄りスポット

その1:【船岡山】

画像:【ふらっと散歩 船岡山】より

京都の「始まりの地」とされる船岡山。豊かな自然に包まれて、山頂からは京都のまちを一望することができます。清少納言が『枕草子』で「岡は船岡」と絶賛したことでも知られています。船岡山との名前は、その地形が舟に似ていることから。高さ112メートルほどの小さな丘なので、気軽にのぼることができますよ。

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その2:【建勲神社】

船岡山にある、明治天皇の命によって創建された織田信長を祀る神社。「けんくんさん」として親しまれていますが、正式名称は「たけいさおじんしゃ」です。拝殿には織田信長公三十六功臣の額がずらりと並んでいます。打ち出の小槌型の「やたら凶が出るおみくじ」も人気です。

建勲神社のご紹介記事はこちらから→

その3:【船岡温泉】

大正12(1923)年に創業した料理旅館「船岡楼」にルーツを持つ船岡温泉。千本鞍馬口から少し東に進むと見えてくる、どっしりとした唐破風造の建物が船岡温泉です。脱衣所の欄間や天井の装飾、浴室の華やかなマジョリカタイルなど、まるで美術館のような魅力がぎゅっとつまった銭湯です。

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